会社員時代、希望していた営業部に配属されたのですが、待ちの姿勢ではなく提案をして仕事を創り出す仕事がしたかったので、入社一年ほどで販促部という名の部署を新たに立ち上げ、たくさんのお店を訪問したり、さまざまな活動をしてきました。
当時の印刷会社の常識では紙やインクなどの原材料費に上乗せして利益を出す見積方法でしたが、私はそこに「企画提案費」をいただいて、お客さんの想像をうわまわる価値を生む仕事をしようと、学びと実践を繰り返していました。
私は販促部として、お客さんの話をじっくり聴いて「誰に何をどうやって伝えるか?どんな価値を届けるか?」など考えてラフに落とし込み、社内のデザイナーと打ち合わせをして、それをカタチにしてもらうよう依頼しました。
ところが、当時の制作部の上長の優先事項は「残業をいかに減らすか」「手離れのいい仕事を重視」だったので、事細かに指示をしないと動いてくれませんでした。
どれくらい事細かかというと、デザイナーがそっくりそのままIllustrator(デザイナーの使うアプリ)で真似するレベルで、パワーポイントで作り込まなければなりませんでした。
私がもしデザイナーなら、言われたままなぞるよりも自分の知識や経験、想いをカタチにした方が仕事が楽しいと思うのですが、当時の社内はそんなクリエイティブな喜びよりも「効率」が優先されていたんです。
結果的に私は外回りの仕事を終えて、終業時刻になったら、本来デザイナーがやるべき制作(しかもパワポ…Illustratorは使えないし持ってすらいません)でやっていたので、いつも最後まで残業。
当時、残業が22時は当たり前、深夜1時2時なんてことも。(ちなみに、会社は「みなし残業制度」をとっていました)
かなり疲れていましたが、お客さんと会って提案するのが楽しかったし、自分でも思いもよらない楽しい販促物を次々とカタチにすることができたので、毎日がものすごくワクワクしていました!
唯一、本当にきつかったのが、日曜に強制的に行わされる奉仕活動。どこかの学校のトイレを素手で掃除したり、早朝に駅前の掃除をしたりに参加せねばならない行事が順番でまわってくるんです。
平日は深夜残業、土曜は販促のいろはを教えてくれる外部委託のコンサルの先生に一日同行、日曜しか睡眠時間が確保できない中、自分のアパートすらままならないのに、なぜ知らない場所の掃除をしなければ?という反発心から、みんなが素手で掃除する中、私は一人だけゴム手袋をつけて掃除をしていました。
さて、そんなある日・・とんでもなく理不尽なことが起こるのですが、長くなるので続きはまた次回!